2018年12月16日日曜日

マイがエッチな気分になったのか・・・

 手術も無事に終わり、部長の元気な様子に会えたマイは、気持ちが高ぶっている様でした。 病院から戻った夜、夕食を済ませマイとテレビを観ていると、私に擦り寄ってきました。 「どうしたの?」と聞くと、「パパのこと色々見せて貰ったら、何か変な気分になったしまったの。」と。

 どんなことに興味をもったのかと思い、「どんなことで変な気分になったの?」と聞くと、「う~ん、いろいろ。。。」と恥ずかしいのか言葉を濁していました。
「ちゃんと教えてよ。」と促すと、
  「パパのおちんちんに入れてあった管みたいなものとか。パパが履いてた褌の様なものとか。。。」
「マイちゃんは、そんなの見るの初めてなのね。」
  「うん、私も手術したらあんな風になるの?」
「手術する様なことになって欲しくないけど、同じだとおもうわよ。」
  「お母さんはあんなのしたことあるの?」
「あるわよ。」
  「お母さんも手術したの?」
「手術じゃないけど、パパにして貰ったことあるわよ。」
  「私もして貰いたいなぁ。。。」
「パパが退院したら、お願いしてみたら!」
というとマイは私にしな垂れかかってきました。

私の胸をしきりに揉む様に触り、息を荒げていました。 多分性的に高まっているのだろうと思い、マイの衣服を脱がせ、私も裸になると私に抱き着いて離れようとしません。
マイの股間を触ると、しっかりと濡らしクリトリスを弄ってやると卑猥な声を上げました。 膣の愛液を指につけお尻の穴に中指を挿入すると身体を仰け反らせ私にしがみつき、「あぁ、お母さん」と興奮しています。 そのまま、指でマイを逝かせ、ぐったりしたマイを横に私も裸のままで眠りに落ちてしまいました。

2018年10月26日金曜日

手術翌日

 手術の翌日、朝から部長の病室を訪れました。 部長は既に病室に戻っておられ、朝から病棟廊下を歩行させられたと仰ってました。 最近の手術は回復を早めるために問題がない限り身体を動かす様にするらしいです。 ずっとベッドで寝たままだと思っていた私は少し驚きました。 しかし、病室を訪れた時はベッドに居られ、身体からは数本のチューブが伸び、排出用のバッグに繋がれた状態でした。 「トイレへ行くのはどうするんですか?」と聞くと、「トイレへ行く必要はないよ。」と見ると、おちんちんからもチューブが出ていて、オシッコは勝手に採集されている様でした。

 胃の手術なので食事をすることもないのでウンチの排泄も無いようです。 看護婦さんがいない時に股間を見せて貰うとおちんちんにカテーテルが挿入されており、時たまオシッコが流れ出ていました。 昨夜は気管にもチューブが挿入されていたそうで、朝早く、かえって苦しいので抜いて貰ったと話しておられました。

 丸一日は食事を摂ってはいけないらしく、お昼もでない様でした。 私だけ昼を食べるのも申し訳ないので、病院を出て近くのうどん屋さんで軽く食事を済ませました。 午後になって、マイが学校から急いで病院に駆けつけた様で、息を弾ませながら病室に入ってきました。 部長のチューブに繋がれた痛々しい様子に、驚いていました。 特に股間から伸びたチューブに興味があるらしく、私のそっと聞くので、部長に言うと衣類の裾を開き、おちんちんから伸びたカテーテルをマイに見せて居られました。

 マイが、「浣腸してもらうの?」とストレートなことを聞いていましたが、部長は、「何も食べてないから、出るものもないよ。」と答えておられました。 「もう少しよくなって、ウンチ出なかったら私が浣腸してあげるね。」、「じゃ~、その時はお願いしようかな!」、「必ずしてあげるね。」と訳の判らない会話を交わしていました。

 マイは初めての膀胱カテーテルに、女の人も手術したらこんな風にオシッコを採るのかと聞いてきました。 何故かマイは導尿カテーテルや浣腸といった排泄に結構興味を持っている様でした。

2018年10月22日月曜日

手術の日

 午前中に手術が行われる予定です。 昨夜からマイは学校を休んで病院へ行きたいと言っていました。 学校を休むことは賛成できませんでしたが、マイの心境を考えると仕方がないのかも知れないと思い、マイの思い通りにさせてやることにしました。

 マイを連れ病院に到着すると手術開始の時刻が迫っていました。 担当の看護婦さんが病室に居られ、部長に手術着に着替える様に説明しているところでした。 部長は病院のパジャマや下着を全てとり、手術着に着替えられました。 マイと私は横で待機し、看護婦さんに連れられ手術室に向かう部長を見送りました。

・・・・・・・

 何時間経過したのだろうか、看護婦さんから手術室に行く様に告げられました。 ボヤ~っとしていた私とマイは我に返り、掛けられた声に看護婦さんを見上げた。 「お父様は無事ですよ。担当の先生が報告したいと仰ってますので。。。」との説明を聞き、胸を撫でおろしました。

 手術室の横の部屋で、執刀医の先生から説明を受けました。 切除した胃の部位を見せられ、そのグロテスクさに唾を飲み込んでしまいました。 手術は無事終了し、術後の処置を行っていることと切除した部位の説明を受け、お礼述べると共に、マイと気が抜けてしまった様な感覚に襲われました。
看護婦さんから、暫くしたら術後の監視室に移しますとの説明を受け、病室に戻りました。 

 暫くすると再び看護婦さんに呼ばれ、ベッドに色々な管に繋がれ横になっているたかお部長に会うことができました。 無事なので安心する旨伝えられ、判っているのかどうか判らないまま部長に手で合図して病室に戻りました。

その日は、何もすることがないので看護婦さんにお礼を述べ、病院を後にしました。

2018年10月21日日曜日

夕刻、マイを連れて。。。

 病院から戻ると、マイも学校から戻っていた。 マイもたかお部長の様子が気になっているらしく、「パパはどんな様子なの?」と本当の父親以上に心配し、不安な様子です。 「大丈夫よ。病室で今日は落ち着いて居られるから。」と説明しました。 併せて明日の手術に備えて今日の夕食から食べることが出来ないことや、下剤や浣腸で身体の中を空っぽにすることなどをマイに説明すると、「私が浣腸してあげたいなぁ。」と本気で考えている様子でした。

 暫くして、「今から行こうよ。」とせがむ。 仕方がないので、マイを連れて再び病院を訪れました。 病室に入るなりマイは部長に抱き着き、ちょっと焼き餅を焼きたくなる様な感じでしたが、三人の関係を考えると当然の姿です。 マイは学校での出来事を話すなど余り手術のことに触れない様にしているのが良く判りました。 時間も経ち、何時までも病室にいる訳にも行かないので、部長に明日朝手術の時に来ることを告げ、マイと共に病院を後にしました。

 帰り道、「手術上手く行くかなぁ!」とマイがポツリと洩らす。 「大丈夫よ。胃の手術って、そんなに難しくないらしいわよ。」とマイの不安を軽くする努力をしていましたが、私も内心不安で一杯でした。 部長の夕食がないので、私たちも夕食のことが頭から抜けていることに気付き、帰路マイと自宅近くレストランで食事をしました。 余り食欲がない様子に、「パパのことが心配なの?」と聞くと、「う~ん、それもあるけど、一昨日から出てないの。」と話してくれました。 部長の入院騒動でマイの体調を気にする余裕がなかったことに気付き、「食べられるだけ食べなさい。帰ってから調子が悪い様だったらちゃんとしてあげるから。」と云うと少し安心した様に食事を続けていました。 そう云えば部長の入院に追われて私も昨日からウンチが出ていないなぁと考えていました。

 帰宅して、「マイもウンチ出てないって言ってたけど、私も昨日からバタバタしててトイレ行くのを忘れてたわ。 明日はパパの手術だから、二人ともスッキリしておこうか。」、「そうだね。」とマイが同意した。 「自分でイチジク浣腸する?」と言うと、「私がお母さんに浣腸してあげる。」と洗面所でグリセリン液とガラス浣腸器を準備し始めた。

 「私がお母さんにして上げるから脱いで、ベッドに寝て!」と言うので仕方なく下半身裸になり、ベッドに横になった。 マイが慣れた手つきで両膝を抱えた私のお尻の穴に浣腸器を差し込み薬液を注入した。 暫く我慢したが便意が強くなってきたのでトイレで排泄した。 余り意識していなかったが結構な量のウンチが溜まっていた。

 私がトイレで用を足している間に、再びガラス浣腸器をグリセリン液で満たし、次は自分の番だと言わんばかりに私がトイレから出てくるのを待っていた。 私が居間に戻ると自分からベッドに仰向けに寝、浣腸されるのを待っていた。 マイの陰部が愛液で濡れているのを見ると、この子も浣腸の虜になったんだと実感した。 マイのお尻の穴に浣腸器を差し込み薬液を注入し終わると、お尻の穴をティッシュで押さえて遣りながら膝の上で抱っこしてやった。 私に抱っこされながら、「パパの手術大丈夫かなぁ。。。」と呟き、やがて私の膝の受けから立ち上がると自分でトイレに向かった。 トイレのドアが閉まるとおならの音に続けて激しい排泄音が聞こえてきました。

 この日の夜は、マイと一緒に風呂に入り、一緒のベッドの中で寝ました。

2018年10月15日月曜日

たかお部長入院の日

 朝から入院の手続きもあり、目が覚めてからマイを学校へ送り出すと、慌ただしく入院の準備をしました。 私はマイの出産の折りの入院経験だけです。 その時のことを思い出しながら、必要と思うもの、事前に病院から指示されているものなど、日常生活のための品々を用意しました。

 流石のたかお部長も入院となると落ち着かない様子で、特に何をするでもなく、ソファに座ってお茶ばかり飲んでおられます。 電話で呼んでおいたタクシーが到着したらしく表でクラクション音が聞こえました。 玄関の扉を開けると、運転手の方の「お迎えに上がりました。」との挨拶に、「ご苦労様です。」と答えて、たかお部長の手を引き、玄関先に用意したボストンバック、それにハンドバッグを持ちタクシーに向かいました。 たかお部長とボストンバッグをシートに押し込むと玄関のカギを掛け、私もタクシーに乗り込みました。 運転手さんに行先の病院を告げると、「入院ですか?」と聞かれ、「はい。」と答えると、「大変ですね。頑張ってください。」と優しい言葉を戴きました。 「ありがとうございます。」とお礼を言いつつ車は病院へ向かいました。

 病院に到着すると、何故かいつもと違う緊張感を感じてしまいます。 ボストンバッグを提げ、エスカレータで入院受付に寄りました。 手続きを済ませると、年配の女性に連れられ入院する病棟、病室に案内されました。 清潔感のある個室で、洗面台やトイレがついていました。 部屋で待つと担当の看護婦さんが来られ、明日の手術までの大まかな予定や病室の使い方を説明してくださいました。

 明日の手術のため、今日の昼食で食事は終わり、胃や腸を空っぽにするために夕食は食べてはいけないとの説明でした。 それでも、腸には食べたものが残るので夕刻に下剤を飲み、深夜に浣腸して全てのものを出してしまうということでした。 昼食が終わるまで私も病室に居る様にし、また夕方に来ることにしました。

2018年10月14日日曜日

たかお部長の手術入院前日

 椅子に縛られ、たかお部長の責めで失神してから一週間が経ちました。 たかお部長が通院している病院での手術入院の日が明日に迫ってきました。 いざ手術が目前となると私もマイも不安になってきていました。 たかお部長は、覚悟を決めて居られるのか余り不安を口にされることはありませんでした。 入院は10日~2週間程度と聞いていましたが、開腹手術と思うと心配になってしまいます。

 昔と違って、最近は着替えなど全て病院が用意してくれる様ですが、当座の下着やタオル、洗面用具など当たり前の品々を準備し、ボストンバッグに詰めました。 マイも不安なのか私の準備作業を手伝い気を紛らわせています。 マイが、「入院のとき、私もついて行っていいの?」と聞くので、「当たり前でしょ。二人でちゃんと面倒みてあげるのよ。」 それを聞いてマイも気持ちが落ち着いたのか笑みを浮かべて、「うん」と頷いた。 入院前夜は、たかお部長と三人で夜を過ごした。

 マイは、べったりとたかお部長にくっついている。 私も甘えたかったが、今はマイにたかお部長を預けておくことにした。 就寝時刻も近づき、今夜は久し振りに一緒にお風呂に入ることにした。 私が二人に声を掛けると、まずたかお部長がリビングで衣類を脱ぎ、裸でお風呂に向かった。 私とマイもパンティだけになり、少し遅れて風呂場に行くと部長は既に湯に浸かっておられました。 マイはかかり湯をしてたかお部長の横に身を沈め、部長の身体を撫でていた。 私は先に身体を洗い、たかお部長が浴槽から出るのを待ったいました。 身体が温まったのか、マイが部長と一緒に湯船から出、代わりに私が湯に浸かりました。 マイは部長の後ろに回り部長の身体を丁寧に洗っていました。 部長も娘の様にしているマイのサービスに心地よさそうにされるままでおられました。

 マイは部長の身体や陰部、そしてお尻を丁寧に洗い、シャワーで流し終わると、突然部長がタオルにソープをつけマイの身体を洗ってやっていました。 初めての微笑ましい姿を湯船から眺めているとマイも嬉しそうに擽ったがっていました。 部長はマイの身体を湯で流すと、私に湯船から出る様に言われ、代わりにマイが湯船に入りました。

 部長は、タオルに再びソープをつけると、私の身体をマイと同じ様に洗ってくれました。 部長の優しさに私は嬉しくなりそのまま部長に抱き着いてしまいました。 マイも湯船から身体を乗り出し、3人で抱き合いました。
部長は私達から離れると再び湯船に入られ、しっかり温まると湯船から出て脱衣場の方へでて行かれました。 私とマイは一緒に湯船に浸り、互いの身体を撫で合っていました。

 部長が脱衣場から出て行かれた様なので、二人は風呂を出て脱衣場で身体を拭い、バスタオルを巻いてリビングへ向かいました。 部長は既に腰にバスタオルを巻いてソファに座っておられました。

 その夜は、3人抱き合う様にして眠りに落ちてしまいました。

2018年9月17日月曜日

椅子に拘束されて失神

 椅子に拘束された私は両足をM字に開脚し、恥部を曝け出していました。 マイとのレズ行為で一度逝ってしまったこともあり、身体は虚脱感に包まれていました。 部長は同じ様に虚脱感を感じているマイにバイブを持たせると私の膣に挿入する様に指示され、マイは素直に部長に指示されるままバイブを私の膣にゆっくりと挿入しました。 再び訪れたバイブの刺激に私は激しく興奮し、拘束された身体を捩り快感に耐えました。

 マイから受けるバイブの刺激だけでも我慢の限界を超えそうになっていましたが、部長は私のクリトリスにローターをあて、ゆっくりと動かされると私は悲鳴をあげていました。 そして部長の指がお尻の穴に挿入されると快感は頂点に達し、再び身体は痙攣してしまいました。 私の膣に挿入していたマイも興奮し、もう一方の手で自分の股間を弄り始めました。

 着衣を脱がれた部長は、おちんちんにゴムを被せ、私が見ている前で、マイの後ろから勃起したおちんちんをマイに挿入されました。 部長がおちんちんを出し入れするたびにマイは悲鳴にも似た卑猥な声を出し、私のバイブを強く出し入れしました。 その刺激に私の意識は朦朧とし、その後のことは殆ど覚えていません。

 我に返ると私の前には部長が居られ、おちんちんはバイブを抜かれた私の膣に挿入されていました。 そして部長のおちんちんが激しくピストン運動すると私の意識は再び朦朧とし部長の突き上げる様な射精で悲鳴をあげ殆ど失神してしまいました。

バイブで逝かされるマイと私

 後ろから私達の陰部を弄る部長の手が止まると、立ち上がりバイブを二つ持って戻って来られました。 そして私たちをベッドへ連れて行き仰向けに寝る様に言われました。 二人が仰向けに寝ると両膝を抱える様に指示され、私たちは部長に陰部とお尻の穴を曝け出す格好となりました。 暫く私たちの恥ずかしい部分を観察しておられた部長は、まずマイのクリトリスをゆっくりと刺激し十分潤った膣にバイブを挿入されました。 そして横に居る私に対しても同じ様にされ、二人は両膝を抱えたまま部長が出し入れするバイブに翻弄されていました。

 暫くバイブに悶えていた娘と私は、それぞれに卑猥な声をあげていました。 部長はバイブを出し入れしていた手を止め、マイを抱き上げると私と反対向けに寝かせ、私のバイブを握らせました。 私もマイのバイブを握る様に言われたので、マイは私のバイブを、私はマイのバイブを出し入れし互いに悶え合う状態となりました。 私がマイに挿入されたバイブを出し入れすると、マイは卑猥なうめき声を発し、私の股間に顔を埋め同時に私に挿入されたバイブに力を込めた。 強く押し込まれたバイブに私は仰け反り、マイのバイブを強く挿入してしまった。 マイも私もバイブに子宮を突き上げられる様な衝撃に強く反応し二人は互いの股間に顔を埋めて痙攣した。

 その様子を眺めておられたたかお部長は、時々私たちを拘束するためのロープを持ってこられ、私を椅子に座らせるとM字開脚の形で椅子に縛りつけられました。 時々部長はサディスティックになられる時があり、ちょっと怖い気持ちもありましたが、与えられる快楽に自分を失ってしまうこともありました。

2018年8月27日月曜日

手術が近づいた部長に甘える娘マイ

 マイは、部長の手術に異常なほどに不安を感じているらしいです。 一緒に居られる夕食後は部長から離れずに部長に甘える様になりました。 部長もマイを娘の様に思っておられ、甘えるマイを拒否されませんでした。 横にいる私が嫉妬を感じるほどでした。

 今日も私が夕食の片付けをしている間、ソファに座る部長の横にマイはべったりと寄り添っています。 手術が控えているというのに部長は、甘えるマイにチョッカイを出しておられます。 たかお部長に普段着の上からお尻を撫でられ、それを気持ち良さ気に受け入れています。

 片付けを終えた私はマイの甘えを受け入れている部長に、
「そんな悪戯をしていたら身体に障りますよ。」と声を掛けた。 笑いながら私を引き寄せ両手で私とマイを抱き寄せ、私に口づけをし、その後マイにも口づけをした。 そして私の衣服に手を掛け上半身を脱がされてしまいました。 両腕で胸を隠す私の手を除け、私の乳房を揉みながら激しく口づけをされました。 その様子にマイは部長の背中から部長にしがみつき、部長の股間に手を伸ばしていました。

 裸にされた私はマイと一緒に部長を裸にし、ブリーフだけの姿にしました。 そしてマイの服も脱がせ、3人はパンティ、ブリーフの姿になっていました。 部長は私たちのパンティに手を掛け同時にパンティを下し脱がせました。 二人は陰毛を露わに部長の前に立っていました。 部長は両手を私達の股間に這わせ、陰部を刺激し始めました。 二人は立ったまま部長の行為を受け入れ、その刺激に徐々に両脚を開き快感に目を閉じ身体をくねらせていました。 手を除けた部長は後ろを向く様に言い、再び後ろから陰部を刺激して来られました。


勇気を出して聞いてみました

 手術に向けての準備のため、入院の日までに色々な検査が行われました。 心臓の検査のために心電図、麻酔のための検査・・・・素人にまるで判らない日々でした。 手術が決まったころから気になっていました便秘のことや、浣腸を多用していることが頭に残っていました。

 ある検査の日に丁度担当のお医者さんとお話しが出来る機会があり、気になっていたことを勇気を出して聞いてみました。
「主人のことで少しお伺いしたいことがあるんですけど。。。」
    ・・・お医者さんの前では、『主人』と言う様にしていました。
    ・・・多分、私のことを内縁の妻だと思っておられるようでした。
  「何でしょう?」
「日頃から、主人は便秘になることがあって浣腸することあるんですけど。。。。」
「手術までの間は、どうすればよろしいですか?」
  「食事に気をつけて便秘にならない様にするのがいいですね。」
「はい。」
  「でも、出ない時は仕方ないですから、溜めるより浣腸する方がましですね。」
「そうなんですか。悪化したり、手術に支障があったりとかは?」
  「それは関係ないですよ。でも浣腸は常用するのは良くないですよ。」
  「ご主人は胃ですけど、腸のことを考えると便を溜めるのは良くないですから、出すためには浣腸しても大丈夫ですよ。」
「そうですか。ありがとうございます。」

先生の話しを聞いて少し安心しました。 部長のことも、そして自分自身やマイが浣腸を常用していることも。。。。でも、私たちが浣腸に嵌っていることも察してしまわれたのではないかと感じました。

 その日の夜、食事が終わった後で、今日病院の先生に聞いたことをたかお部長に話しました。 話しを聞き終わると部長は、「そんなことを気にしていたんだね。」
「でも、やっぱり気になってましたわ。私は専門的なことは判っていませんでしたし。」
  「だからと言って、やたら浣腸したらダメだよ。」
「はい、判ってます。でも、私もマイもついつい浣腸したくなっちゃって。。。。」
  「これからは私が管理する様にしないといけないね。自分たちで浣腸した時は報告するんだよ。私が管理しないと使いすぎる様だからね。」
「判りました。報告する様にします。」
  「マイは若いんだから、し過ぎない方が良いと思うよ。」
「そうですね。」

2018年8月22日水曜日

続く胃の詳しい検査の結果、ついに手術が決まる

 部長の胃の詳しい検査は、結構難航しました。 2週間ほどの間に、バリュームを飲んでの回転する検査台でのX検査やCT検査など、検査でおかしくなってしまうのではないかと按ずるほどでした。

 検査が難航した背景は、元々の胃痛の原因であった胃潰瘍症状が結構酷く、癌症状を確認できないことにあった様です。 しかし、最終的な診断結果は、初期の胃癌と判断され、手術を受けることになってしまいました。

 救いは、進行していない初期の胃癌とのことなので、手術を受け入れ、その後の安心に繋げたいと考えることにしました。 病院で入院の手続きをし、部長は仕事を一定期間休む調整も進められました。 手術と言っても決して簡単なことではなく、身体の他の機能が手術を行っても問題がないかと言う検査が多々あることを初めて知りました。 手術って大変なことなんだということを、色々な説明を受ける内に実感せざるを得ませんでした。

 しかし、その手術で以降の安心が得られることだけを希望に指示されるままの生活が始まりました。 特段日常生活に制約があることもなく、入院の日までは食事も普段通りで問題はありませんでした。

 私はただ日頃から浣腸を多用している生活が災いしているのではないかと言うことが気懸りでした。 もし部長の発癌がその様なことが原因しているとすれば、申し訳ないことだし、私たちも無関係と言えないことになってしまうと思いました。

大腸内視鏡検査の日

 数日後、今度は大腸の内視鏡検査の日がやってきました。 胃の検査で良くない結果が出てしまったので、大腸の検査も不安で一杯です。 マイも日頃の明るさは消え失せ、今度は検査の日は自分も一緒に行くと言い張っています。 納得できる様にすれば良いと思い、3人で病院へ向かうことにしました。

 大腸の検査は胃の検査の時より大変で、腸の中を綺麗にしておかなければならないので前日から下剤を服用し、当日は、朝から大量の水に溶かした薬剤を何度も飲んでは排泄する繰り返しとなりました。 朝起きて直ぐ前夜の下剤が効いたのか、下痢状態の排泄があった様です。 早朝から多量に水に溶かした薬剤の服用により、何度もトイレで水の様な排泄を繰り返しました。 事前には排泄が透明になることを確認してくださいと言われていたので、部長のトイレの後を私も確認しました。

 僅かに黄色味を帯びた水の様な排泄になっていましたので、一安心し、検査の時刻を迎えました。 マイも一緒に病院へ向かい、私たちは外の長椅子で待ち、部長は検査室に入って行かれました。 内視鏡ですので、胃の検査も大腸検査も同じ検査室でした。

 胃の検査と同様、終わってから部長の話しを聞くことのなりました。
部長に聞いたのは、胃の検査と違って、衣服を脱ぎ、検査用のパンツに履き替え、検査のための診察台に横になったそうです。 胃の時と同じ様に血圧計を接続され、軽い麻酔の注射をされると意識はなくなり、目覚めると全ては終わっていたそうです。

 後日、検査結果を聞き少し安心できました。 検査の結果は、小さいポリープがあったが、それは内視鏡で切除したとのことでした。 大腸について心配する様な結果はなかったので、後は胃の詳しい検査の結果が気懸りです。

 部長も少し安堵した様子で、マイと三人でその日は外食することにし、部長が好きなお寿司を食べに行きました。

部長の胃の検査の日です

 部長の胃の検査の日となりました。 準備は当日からではなく、前日の夕食後からはじまっています。 胃の中に食べたものが残っていては検査ができないので、前夜の9時以降固形物を食べることはできず、水やお茶程度で喉を潤して朝を迎えました。 検査が終わるまで口を潤す程度の水しか飲めず、病院へ向かいました。 私も付き添いましたが、外の長椅子で退屈な時間を過ごすだけでした。

 内視鏡検査の様子は、私は立ち会ったいませんので、部長の話しを後で聞いただけでした。 検査の直前には喉を鈍感にするためか軽い麻酔の為の液体を口に含み、暫く我慢し、それを吐き出した後、いよいよ検査室に入ったそうです。 左を下に診察台に横になると血圧計が接続され、マウスピースを噛まされ、軽い麻酔の注射を受けたと言っておられました。 すると暫くして意識がなくなり、我に返った時には全ての検査が終わっていたとのことでした。

 そんな訳で詳しい検査途中の様子は、ご本人にも判らないとのことでしたが、後日検査結果を聞いて驚きました。 胃の検査で検体を採取するらしいですが、その検体に胃癌の疑いが見つかったとの検査結果で、部長はも勿論のこと私にとってもショックな結果となってしまいました。 胃癌と断定された訳ではありませんが、更に詳しい検査をすることになりました。

 マイも心配し、部長の家に来ていました。 マイにも病院で聞いた結果を告げると、不安なのか泣き出してしまいました。 「胃癌と決まった訳ではないので、余り心配しないで。」と宥めざるを得ない状況でした。 今後の詳しい検査で疑いが払拭されることを願いながら、その日は3人で食事をし、部長の家で床につきました。

2018年3月23日金曜日

部長の胃痛と看病

 日頃元気だと思っていた部長が不調を訴えら、仕事を早退されました。 部長が心配で、私の仕事が終わると一人でお住まいの部長宅を訪れました。 部長は奥さんを亡くされてからは単身でお住まいです。 お邪魔するとベッドに臥せっておられ、お腹が張って、胃が重くて痛いとのことでした。 

 お腹が張っているだけだと私と同じなので浣腸でもと思ったのですが、胃の調子もわるいとのことでお医者さんに診て戴くことにしました。

 翌日、医院で診察を受けられ、胃カメラの検診を行うことになりました。 当座の胃痛を緩和するお薬が処方され、お腹の張りは胃痛とは関係なく、ストレス性の便秘ではないかとの診断でした。 お医者さんの判断では、胃の問題もあるので、下剤を飲むより、排便がない様だったら浣腸しなさいとのことで、その日は胃の内視鏡検査の予約と胃の薬と浣腸を処方して貰いました。

 薬局で処方されたお薬を受け取り、部長と一緒に部長宅に帰宅しました。 早速胃のお薬を飲み、少し落ち着いたので部長に、「浣腸しますか?」と聞くと、「いつもと逆だね。」と笑っておられました。 処方された浣腸は、病院などで使われるノズルの長いオオタ60浣腸でした。 お腹もスッキリした方が良いので、部長に浣腸することとなり、私がしてあげることになりました。

 お医者さんからは、排便があったら出血がないかを確認してくださいとのことでしたので、水洗トイレではなくオマルにしてもらうことにし、浣腸をする前にオシッコを済ませて貰いました。